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【Piroのセカンドチャレンジ】無職の期間は本当に一休みの時間だった?海外就職そして失業の軌跡がもたらした1週間の奇跡〜今話せる事だけ話します〜

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何を話して良いのか分かりません。と、いうか実際、何が起こっているのか?という状況を人生で何度か経験した事はある。センター試験E判定から国立大学現役合格。バンクーバーの観光VISAが切れる2週間前に現地企業からの内定。不思議なぐらい「え!?今?このタイミングで?」と、奇想天外な人生を送ってきた私でも、今回のは間違いなく特例だろう。たった一週間。この一週間で私の人生は大きく変わった。今日は記事というか、今後、決して威張らず謙虚に歩む自分に宛てた手紙のようなものです。

本当は続いていた無職奮闘記!でもその無職奮闘記がそろそろ終わろうとしている今自分へ言い聞かせたい事

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今、私が語れる事。語るにはきちんと自分の想いを理解していけないといけない。今、きちんと理解出来ている事としたら、セカンドチャレンジ初期の想いだろう。まずはここ、原点から。

①自分で広めなくても世界に求められ、自然と広まっていく人々の生活を豊かに出来る1つの道の提示

②セカチャレのメンバー、一人一人が、まずは自分の人生で試し、良い効果をもたらした結果の共有

③3年後、5年後を本気で考え、行動し、反省し、継続する

以上の3点をポリシーとしています。

この3点ポリシーは間違いなく、自身のワーキングホリデーという貴重な1年を「VISAをサポートするから。」という言葉を信じた上で海外勤務をし続けた果てに、会社が買収、そして海外事業撤退で突然、無職になる経験なしでは出てこなかっただろう。

そもそも、このセカンドチャレンジはあてつけみたいなもの、私の反骨精神が始まりだった。日本は敗戦国だ。悔しい!見返してやる!あの日の焼け野原で反骨精神を武器に立ち上がり、ここまで突っ走ってきた先人のお陰で現在の日本の豊かさは享受されていると、私は考えている。よって私にとって反骨精神は一つの武器である。

そして、私にはもう一つ武器があった。それは苦しみだ。それも圧倒的な。理不尽なオフィスクローズ、報われないワーキングホリデーの最低賃金と待遇、その割に合わない労働時間。会社のために謝らなければいけないクレーマー処理。どれだけ会社のために動いても、会社が私のために動いてくれた事なんて一回もない。報われない想い。このgiveした分は、必ずどこかでtakeしてやる!そう苦しんできた。

少し話は変わるが、芸術とはどのように生まれるのか、皆さんご存知だろうか?有名な絵や作品の数々。ずばり、芸術は病みから始まっている。そう考えた事はありませんでしたか?

「芸術は病みから生まれる。あの作品とかみてみー!もうどうしたの?どういう心境でこれ創ったの?ていう物ばかり。病んでもそれはきっと何かを生み出せるパワー。だから、病む事はきっと良い事だよ。」

バンクーバーの勤務時に、ニュージーランドに行くきっかけになった同僚の旦那様から頂いたお言葉。私は、退職が決まった時、この言葉がまず、思い出された。そして、退職と告げられた翌日、Yuiが通学していた学校で「セカンドチャレンジ」を一緒にやらないかと?と、Yuiへ声をかけたのだ。そうして苦しみの中で生まれたのがこの情報発信サイト、セカンドチャレンジだった。

・人それぞれという事

・自分が経験した事、見たもの、感じた事からしか人は伝えられない事

以上の2点をご了承して頂き、一人のチャレンジャーとして永遠、安定なんてない現代において、いかに自分で自分の身を守るれるか考え、共に繁栄し続けていられるように歩ませて頂けたら光栄です。

そういう想いで始めたセカンドチャレンジは今では、100記事を越えました。そして、私自身のセカンドチャレンジが、誰かのセカンドチャレンジと共に歩み始めているかもしれない。これはとても嬉しい事ではあるが、反面、未熟者の私なんかが、と恐れ多い気持ちになる時がある。

何故なら、私はただ、自分で自分の想いへ、目標へチャレンジし続けているだけだから。その中での気付きや想いを書き記しているだけで、特別何かを成し遂げたわけでもないし、すごいわけではない。

私の鬱や無職といった経験で感情としての共感を呼ぶことが出来たとしても、私は何も結果は出せていないので、読者の納得を生むことは出来ないだろう。仕事を取得する、進路が決まる、何かしらの結果を生み出せられなければ、いつまでたっても寄せられるのは同情なのだ。

誰かに読んでほしいとか、誰かに分かってほしいと、共感や理解のために書いているのではなく、あの日の苦しみから逃げず、向き合い、より良いものへ変換するために歩みを書き記す。そうしてきた事で私自身、強くなれたと感じています。

私が今、強くなれたと感じられた部分は2点。まずは、私自身、ずっと苦しみがつきまとってたのは、自分がやりたくてやっている、という気持ちで物事に取り組んでいなかったからという事に気付けた事。

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人は自分がやりたくてやっている事であれば、恨みはない。自分のためだと思うなら何事も恨みは生まれないのです。誰かにやらされてたり、強制されてたり、嫌嫌な想いがあったり、してやっている!と、相手に求めた行動をとるから恨みを伴う。

つねに本当にこれは自分がやりたくてやっている事か、自身に問いかけるべきと、私は思う。

人は、人のために生きているのではなく、人のために尽くす自己犠牲は、本当は自分の人生を生きるという点では、素敵な事でも美しいものでもないのだ。常に、自分のやりたいことのために生きる。自分自身に深く問い続ける事を繰り返し、人生も自分も豊かにする事が出来るのかもしれない。

私はずっと、オフィス運営をしてやっていると思っていた。留学会社の支店を一人でまわす。会社のために会社の尻を拭ってやっている。オフィスをクローズしてやっている。だから、恨みを伴う事になった。

だから、次、何かをする時、これから私の人生は一切恨みなんてない。この経験を基に、自分がやりたくてやっている!そう心から思えるものへ情熱を注いでいくからだ。

本当は前職でも、どれだけ辛い状況でも最後まで働く!と決めたのは自分と、きちんと自分がやりたくてやっている!と認めてあげられればもっと楽に生きれたのだろう。12年以上、営業したオフィスを半年前に来た、ワーホリ野郎が全て一人で閉鎖しなければいけない仕事は、普通に自発的に楽しめなかった。前向きに物事を捉えられる力量がなかった。あの時の自分は弱かった。それを分かって良かった。

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次に、昔を思い出して、あいつはこうだとか、あれはこうだったとか、相手や出来事ばかり話をする必要なんてないて事に気づいた事。あの時の私はこうだった。そう自分を振り返り、明るい未来を迎えに行く意義とワクワク。自分に足りなかった事は自分自身で気付けば良い。それに気付けない人はきっと、永遠に「あの人はこうだ。」と、自分ではない誰かの話をし続けるのだろう。

人は決して誰も評価する事なんて出来ない。その人が本当の事を言っていたのか?どういう想いでそれをしていたのか本気で知る術なんてないからだ。時に、人は、自分さえも見失ってしまうものだから、相手なんて捉えられるはずがない。あの人はこうだ。あの人はこうだった。評価する必要なんてない。評価は出来るけど進んでしなくて良い。もし、誰かの評価をしてしまっている時、まず「自身への最近の評価はどうだ?」と、自分に問いかけるべきだ。ブログで文字に書いたり、真っ白なノートに想いを解き放っても良いだろう。自分と向き合う時間を用意する。それでも尚、誰かを評価してしまっている時は、それはきっと暇な時だから、英語の勉強でもして1単語覚えた方が自己評価を上げる事が出来て気持ちが良い。何か気軽に行える行動と実践力に注力したい。

まとめ

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今は私が語れる事は多くはない。でも、これだけは言える。そろそろ無職奮闘記が終わろうとしている事だ。終わりがみえてきたのだ。実はいつでも終わりを告げる事が出来た。私は終わり方を知らなすぎた。いつも始める事だらけ。

動きたくなる時はまた来ますし、周りが動いてくる時もまたあるでしょう。焦らず行きましょう。

自分の周りは愛で溢れている。それを知る事が出来たのは、自分の人生を愛する事が出来たからだろう。愛せるように努力したし時間もかかったが、人生を愛せるようにしてくれた存在が私の周りには溢れていた。上の言葉も支えてくれた人がかけてくれた言葉だ。

友達はそれほど多くはない。でも、異国の地で新しい人といかに繋がるかばかり考えてきた私からしたら、今までの友をいかに大切に出来るか、いかに繋がっていられるか、本当に大切な絆に気づける良いきっかけになった。支えてくれた友よ、本当にありがとう。友達は多くなくて良い。多いとよくみえないし分からないから。

ここまで来れたのは一旦、周りをシャットダウンし、自分と深く対話をしたからだ。ここで自分自身ときちんと対話をしないと、一生、自分の弱さから目を背け、相手や出来事の所為にしてしまうクセがついてしまう、そう思った。だから、一旦、全部、言われた言葉を受け止め、誰かの言葉でなく、自分の言葉で解釈してみる事にした。それから、その言葉を答え合わせするかのように、また人に会い始めた。

それがこの1週間だった。元上司、元マネージャー、そして家のオーナーさん、友達、元同僚へ自らあいにいった事で、たった一週間で私の人生は変わった。この一週間どれだけの人にあったのだろう?でも、そこには昔ながらの顔、新しい顔、何だか懐かしさと新鮮さが入り混じった世界の根底には優しさがあった。「待っていたよ!」「あいたかったよ!」その言葉で十分すぎる程、世界は愛で包まれている事を知った。みんな、優しく見守ってくれてありがとう。声をかけてくれてありがとう。

人の評価が鬱陶しくて、自己評価も低い時ていうのは、面白いくらいに重なる。それは多分たまたまではない。あの時、自分の弱さから目を背けた事、自分を取り繕った事、未達だった、やり残した問題が積み重なって、雪崩を引き起こす。それは一気に、連鎖として引き起こされる。テーブルの上に、知らず知らずに積んだ書類が一気に崩れるかの如く、本棚に適当に立てかけていた本が崩れるみたいなもの。

起こるときは一瞬。でも、精神的のしんどさはずっとだ。精神的にキツい時ていうやつ。その一番精神的にキツい時に相手に理由をみつけるか、自分に理由をみつけるか。それぞれ導き出す答えが違うのだ。その答えを導く時間も辛さも。その答えによって引き起こされる未来も。今、私が話せる事はここまでだ。ここから先はまだ話す事が出来ない。まさに今、進んでいる途中の段階だからだ。もしかしたら無職という期間の軌跡が奇跡を呼んだのかもしれない。それぐらいの出来事を今、私は経験している真っ只中である。

正直、一気にきすぎてえ?て戸惑いそうになったが、何故か、自然と驚きはなかった。いよいよだなと身が引き締まった感じ。自然と浮かれる事なんて一ミリもなく、自然と恐れるものもなかった。私には何もないから。これからだから。

最後にもう一度だけ、言います。無職奮闘記が終わろうとしている、それは私のセカンドチャレンジが始まろうとしているという事。私の本当のセカンドチャレンジが始まる。

今日の一言

私は成長出来ているだろうか?ある程度の成長ではなく、求めるのは圧倒的な成長。無職の6ヶ月の時間に対して、どれだけ自分の質を高められたのか。その答え合わせを始めよう。

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