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【3.11】故郷は福島。今、災害を経て伝えたい想い

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みちこ

こんにちは!Kaboです。今週で「東日本大震災」から早五年の年月が経ちました。亡くなられた多くの方々のご冥福を心よりお祈りいたします。そして、被害にあわれた方々の笑顔が増えている事を願います。

今日は当時の出来事を振り返り、私が災害を経て感じた事・伝えたい想いについて綴ってみたいと思います。震災当時、私は大学二年生でしたので、故郷の福島県郡山市を出て新潟市に住んでいました。当日は同級生たちとグループ展をしており、揺れに不安を感じながらもせっかく作った作品たちが落下しないよう支える事が第一でした。しかし、あまりにも長く続く揺れに「どうかここ(新潟)が震源であってほしい」と強く思った事をとてもよく覚えています。しかし、嫌な予感は当たるものです。震源地は東北地方東海岸沖。死者・行方不明者は24,607名にものぼる未曾有の大災害でした。

当時大学2年生だった私が、社会人になった今だからこそ災害を経て伝えたい想い

1.情報は自分から取りに行く

会場にいた学生で一箇所に集まり、息を飲みながらワンセグで津波の映像を見ました。どんどん波に呑まれていく街がまるで映画のワンシーンのようで、全く実感がありませんでした。震災のあった次の日に、やっと家族と連絡がつき、グループ展の控え室でほっとして泣きました。電気が完全に通ってからは定期的に地元の友人たちが県外にいる子に向けて、SNSなどで写真をアップロードして状況を伝えてくれたので、とてもありがたかったです。しかし、すぐに電気が普及しなかった地域も多く、親族とすら連絡がとれていない学生もたくさんいました。

私の故郷である福島県郡山市は震災の被害はそこまで広がらなかったと聞きます。しかし、それでも年季の入ったビルなどはほとんど取り壊され、閉店した店舗も多くありました。しかし東日本大震災で発生した、福島第一原子力発電所のメルトダウンによる影響は何よりも大きなものでした。小学生の妹がいた私の家族は、一ヶ月ほど私の住む新潟で避難生活を送りました。福島県では私の家族のように県外に避難していった方も多く、その中で原発の影響からそのまま避難先で新生活をスタートさせた方も多かったようです。

私の家族は新潟で流れているニュースを見て「こんな報道、福島ではされていなかった」と驚いていました。父は海外のニュースを調べ、早々と新潟への避難を決めました。しかし、当時は何が正しい情報なのかすら判断出来ない状態でしたので、すぐに行動に移せなかった方も多くいたと聞きます。こんなにも様々な情報があふれている現代では、いざという時に正しい情報をキャッチできる力が試されているように感じます。

2.自分には何ができるのか?を常に考えて行動する事

家族が避難してきているという事を聞いて、すぐに空いている部屋を紹介してくれた大家さん・野菜をたくさん送ってくれた管理人さん・私の当時のバイト先のマスター、常連さん・大学の教授・新潟でできた友人たち(そして、その家族)たくさんの方が気にかけてくれて力を貸してくれました。

「福島は修学旅行で絶対行くから、地元みたいなもんだ」

「私たちの住む新潟にも柏崎に大きな原子力発電所があるの、他人事じゃない」

そんな話をしてもらうたびに、ただただ泣きながら「ありがとう」という事しか出来ませんでした。正直、もどかしい思いもたくさんありました。ですが、周りの支えてくれた人たちの言葉があったから、ゆっくりと消化する事が出来たのだと思います。とても感謝しています。

家族が福島に戻ってから、私に何ができるのだろうか?と模索する日々でした。仕事を辞めてまで日本を旅し、人と人との関係を繋いでいこうとする若者たちにも出会いました。福島に住む友人たちから写真を集め、写真展を開催した友人もいました。そして、父と母の「福島で生きる」と決心してからの行動力は素晴らしいものでした。(福島を題材とした商品開発など)

akabeko2

「赤べこ」

父の運営するウェブサイト▷www.venus.dti.ne.jp

そんな時に友人から言われた一言がとても印象的でした。

「私は今まで福島の事とか東北の事とかあまり考えてみた事がなかったけど、Kaboが生まれた場所だから、ちゃんと考えようって思ったんだ」

「Kaboの生まれたところでしょ?なんかそれだけですごく近く感じる」

今まで福島の復興のために何ができるんだろう?何もできなかったらどうしよう。何か行動に移さなければいけない。と、何人もの被災地ボランティアを横目に一人で勝手に不安に感じていた事がすうっと溶けていくような感覚でした。

最後に

私(福島出身者)はここ(新潟)で、今まで通り私にできる事を精一杯すれば、それでいいんだ、、、!

それが福島で生まれた私の使命であるようにすら感じました。(大げさかもしれませんが。笑)自分が自分ではないみたいに、心がそわそわしてしまって私は大きな事は出来ませんでした。ただ、人の心を動かすのはやっぱり人でしかなく、その人がどこで生まれて今何をしているのか、自分とはどこで出会い今どんな関係を築けているのか?そんな一つひとつの出会いを一つひとつ大切にする事が大切なのだという事を改めて知りました。

震災当時はたくさんの方にお世話になったのにも関わらず、しっかりとしたお礼もできず、ただ優しさを受け取るばかりでしたので、どんな状況の人が見てもくすりと笑えて、ちょっぴりハッピーになれるような作品を作ろうと思いました。それが前回にブログでも書いた「くすっとかわいい」にも繋がっていくのですが、そちらについてはまた次回、作品も紹介しながら書かせていただきたく思います!

では、また来週!Kaboでした〜!皆様、素敵な一週間をお過ごしください★

今日の一言

自分が一生懸命取り組んでいる姿、ちゃんと見てくれている人がいる。

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